戸柱橋

上町維新

2012年09月07日 09:12

 10号線を鹿児島市から磯方面へ走り、長田陸橋、柳町交差点を過ぎると戸柱橋交差点があります。
車で走っていると、橋の上を通り過ぎたことなどわからないほどですが、信号待ちで停車することがあれば
その場所が戸柱橋の上です。

 その辺りの稲荷川河口は、戸柱港と呼ばれ、天文18年(1549)フランシスコ・ザビエルが上陸した港でもあり、江戸時代初期まで島津氏の港として琉球や南の島などへの係船場(御船手、軍港)として栄えていました。
 慶長14年(1609)大将樺山久高(1560~1634)・副将平田増宗(1565~1610〉が率いる琉球遠征軍3千余名
が出発した港でもあります。
 今の春日神社横に、「薩摩水軍軍港跡碑」というのが残されています。 
ところで、この「戸柱」の名前の由来ですが、大永7年(1527)祭神=素戔嗚尊(すさのおのみこと)・妃奇稲田姫命(きさき くしいなだひめのみこと)・八王子神(三女五男神)の十柱(とおはしら)。
 これによって「戸柱」の名が生じたと記録にあるようです。

 ここで問題です。神様の数え方は?

① 一体、二体・・・   ② 一人、二人・・・・  ③ 一柱、二柱・・・・・
 
答えは、3番です。

 さて、最近『終戦前後北朝鮮で死亡した日本人らの埋葬地とされる畑を訪れ、調査、法要を終えた。』というニュースを覚えていらっしゃいますか?

 昨日の地元紙一面の下段を読んでいましたら、「北朝鮮に残る遺体は、二万柱の越える・・・・・」と書かれてありました。この『二万柱』という文字から、戸柱、神様・・という連想が廻ったのですが。
 調べてみると、【柱】は、①古来の神・神体・神像  ②位牌・遺骨  ③ 英霊  ④ 高貴な人
の数え方らしいです。

 靖国神社に祭ってある祭神は、明治以降お国のため、天皇陛下のために命を捧げた人たちが、名誉ある死を遂げたということで、英霊(神となる)として祀ってあることが思いだされました。
 
 戦後67年目の夏がやってきて、
 地元紙にも「上町空襲の記憶 7・27から67年」として記事が連載されていました。
 残念ながら10回シリーズで終わってしまいました。きっと、話をしてくださる方々もご高齢になり、たくさんはおられなかったのかもしれないと思うことでした。(紙面の都合もあったかもしれませんが)

 この世のものは、たえず変化していくことは、世の理ですが、その変わりゆく様の一コマ、一コマを
 記憶していけるようなそんな活動をしていけたらといいなぁ~~~と、ほそぼそと考えています。