セモン坂

上町維新

2010年06月17日 00:04

 大龍小学校から玉龍高校へ向かう道路は、少し下り坂になっていますが、ここは、昔、大口筋と呼ばれ大名行例が通っていた通りで、「セモン坂」という名前で親しまれています。

 さて、「セモン坂」の由来は?

 島津義久の家臣で弓の名人、濱田民部左衛門経重の住居があったことから、左衛門坂が「セモン坂」と付いたと言われています。

 福昌寺跡内に由緒墓と呼ばれ、島津家に関わりのある人々のお墓がある場所がありますが、そこに15基の地蔵等があります。これらは島津義久荼毘の日に、殉死した家臣15人の供養塔で、その11号地蔵塔、法名「鏡山栄臨居士」が、濱田民部左衛門経重のお墓です。享年77歳と書かれています。日付は、慶長16(1611)年、2月20日です。

 約400年前、この町で暮らしていた人々も、この道を「セモン坂」と呼んでいたかと思うと、なんだか不思議な感じがします。
 その頃は、一体どんな街並みだったのでしょうか?

 今の「セモン坂」を歩いていると、ふとおもしろいものが目につきました。



 「セモン坂」を通る人々の目を楽しませようと、ガレージにいろいろな飾り物を展示してくださっているお宅がありました。
 
 「まちかどミュージアム」を見学希望の方は、ぜひ「セモン坂」を下ってみてくださいね♪
 


 

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