玉龍中学校 上町キャンパス探訪

上町維新

2010年12月06日 23:28

早いもので今年も20日余りとなりました。

11月27日(土)、玉龍中学校1年生の課外授業「上町キャンパス」に案内役で参加してきました。
その「上町キャンパス」というのは、玉龍中学校周辺の史跡を巡ることで、島津氏が鹿児島三州の(薩摩、大隅、日向)支配のために、上町から始まった鹿児島の歴史を考える、というものです。





今回、巡ったコースは
玉龍中・・・大乗院跡(現、清水中)・・・鶴嶺女学校跡(現、県営住宅)・・・本立寺跡・・・多賀山・東福寺城跡・・・東郷平八郎銅像・・・祇園之洲・・・石橋記念公園・祇園之洲砲台跡・・薩英戦争跡・・西南之役官軍戦没者慰霊塔・・・春日神社・・・薩藩水軍軍港跡碑・・・森有礼生誕碑・・・伊東祐亨(いとうすけゆき)生誕碑(現、清水小プール前)・・・玉龍中

中学一年生にどんなことを話せば、興味を持ってもらえるのか私たちも苦心しながら
メンバー間で打ち合わせを行い、今回の課外授業に挑みました。

そこで島津氏に興味を持ってもらうきっかけになるかもしれない
メンバーお気に入りの島津家始まりの説話を一つ。 
(以前も紹介したかも・・・・・・・・)

島津家の祖、島津忠久は父親が源頼朝である、と言われています。
それは、忠久の母親である丹後局(たんごのつぼね)が、頼朝と結ばれ、子供を身籠ってしまったからです。
頼朝の正室、北条政子は嫉妬深い人だったので、丹後局はその仕返しを恐れて
西国へ逃げる途中に、大阪の住吉神社の境内で出産しました。

その時に生まれた男の子が、忠久です。

その出産の時に、住吉神社稲荷明神の狐火に守られて無事、忠久が生まれたので
狐は島津氏の守り神とされています。(稲荷信仰)

また、その時大雨の中で出産したことから、島津家では何かあるときに雨が降れば
「島津雨」といって、良いこと(めでたいこと)がおこる前兆だと喜ばれています。


私達、上町維新まちづくりでも何かイベントをする時に
雨が降ることがよくありました。
しかし、私達は決して雨をうらめしく思わず、「良いことの前ぶれだぁ~~」と口々に叫びながらやっていると
いつのまにか雨がやんでいるのです。

(「良いことの前ぶれ」、と言いながらも、屋外でのイベントの時は、雨よりは晴れがいいですものね~♪)

と、言うことで、玉龍中学校1年生には、自分たちが興味があるおもしろい話をしながら、
町史跡探訪を無事終了いたしました。

将来、「そう言えば、あの時にそういう話を聞いたよね~」と思い出してもらえればいいなぁ、と思っています。

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