堂之前

2010年06月20日

 セモン坂を下り、玉龍高校バス亭の通り周辺を「堂之前」と呼んでいます。

 福昌寺の初代住職石屋禅師(せきおくぜんし)が、福昌寺の門前に地蔵堂を建てたことから、その地蔵堂の建っている前の通りを「地蔵堂の前」と呼び、、それがいつしか「堂之前」と呼ばれるようになったようです。
 (三国名勝図会には、観音堂と書いてあります。)

 20年程前までは、今の池之上クリニックの場所に、「堂之前温泉」という温泉がありました。
聞くところによりますと、まち歩きで有名な某NPO法人 代表理事は、玉龍高校出身ですが、学校帰りにこの温泉に入っていた、という話を聞いたことがあります。今となっては、貴重な体験談です。
堂之前 
池之上いにしえマップ 表紙 デザイナー:有馬憲吾

 また、玉龍高校バス停のところには、わが国の明治洋画壇の三峰の一人、と言われている「藤島武二」の生誕地があります。
丁度、明治維新の1867年、池之上町に生まれ、小さい時に父親を亡くし、二人の兄も西南の役で失いました。
そして、年老いた母親と小さい弟や妹の世話をしながら、絵の勉強を続けたそうです。
堂之前

 代表作に、“東海旭光(とうかいきょくこう)” “芳恵(ほうけい)” “天平のおもかげ”などがあります。

1937(昭和12)年、第一回文化勲章を受賞しましたが、1943(昭和18)年、太平洋戦争中に亡くなりました。享年77歳だったそうです。

 これまであまり絵に関心のない私でしたが、藤島武二の絵を見たら、自分のDNAの中にある古~い太古の懐かしさを思い出させるような感慨を受けました・・・・。

 皆さんは、いかがでしょうか・・・・・・。



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